2016年1月20日水曜日

古文書からみた天童織田藩の動き



観てきました。
この講演会のきっかけは
織田藩士高橋家の御子孫の方が
郡役所史料館に来られた時に
天童織田藩の地図に御自分の御先祖の
屋敷が書かれてあるのを見付けて
お家に帰られてからうちの先祖はどんな人だったのか
史料館にお電話で家に古い資料があるので
調べて戴く事は出来ないでしょうか。
というお問い合わせから始まったそうです。




『高橋家由緒書』

織田信雄代で百貫で召し抱えられ
信昌の代では知行400石の家老に。
実力のある御先祖様だったそうです。
関ヶ原の戦いで破れて
岐阜→熊本→江戸と
移っていった事
その時代その時代の
高橋家のありまし
織田家のありましが書かれてあり
其れが幕末の時代までしっかりと。

もう一つの資料は
『明治8年 織田信敏より
岩倉具視督部長宛 届書』
明治7年から8年の間に全国の藩主の
親族 家族の詳細記録を纏めさせ集めたようで
織田藩の宗家68名の記録を書き留めた書。
書写理由書き有り。
今までの他の資料との
大きな差違に注目。
とありました。


講演会には高橋家の御子孫の方が
東京と千葉県と兵庫県から
6名の方が御見えでありました。

その資料大変貴重な物で
今までにわからなかった事が
幾つも書かれてある物でした。
その資料のコピーは
織田藩の女たち展の開かれている
二階に展示されてあります。

講演会はその他
井田家文書
長井政太郎氏旧所蔵書
須貝明子氏所蔵文書
佐藤治右衛門『両郡御領内地方手鑑』
御年貢を何処で何れくらい
誰が取りまとめていたのか。
緻密な調べ作業で
一つ一つ昔あったことを
解き明かしてゆく。
郷土史家の先生方が日夜
奮闘なされて
新しい何かが解ってゆく!!
織田家織田藩を
知ろうと講演会の行われる
お部屋が満員になりました。
浪漫だなあ……… !!!!
じわじわ感動していました。
…………………………………………………………
講演会の後の質問時間内で
多分湯村先生だと思うのでありますが
(後ろ姿だけお見受けし)
織田家の家系が繋がったお話で
18代目藩主の方は
織田信恒様の
三番目の御子様の流れと
ありました。
詳しいお話がお聞きできる時が
とっても楽しみです

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