2012年9月15日土曜日

京都記 「蛸薬師~三条」


宿で荷物を軽くして
又も,ワープ航法。

行き先を

「 中京区の蛸薬師と
  寺町通りあたりの
  小野数珠店まで。 」と。
メモしてあった地図を見せ

「ああ此の辺りなら車が入れないから

 その近くまでね。」
「はい。」

どうして

車が入れないのか
それは

新京極商店街の

直ぐ!直ぐ傍だったから(汗)

行きすがら

蛸薬師の説明を
蛸のお薬師さまってどんなだと
楽しく語ってくれた運転手さんに
此の後の行程の参考を
聞いてみました。

坂本龍馬さんのお墓まで

三条からだと歩きだとキツイですか?
車の方が良いですか?と。

龍馬さんのお墓参り。

この京都旅の大目的。
此れを逃したら
悔やみきれない。

其の話から

さっき乗せてもらった別の方のような
京都のタクシー運転手さんの
観光ガイド魂にに火が付いた !!!!!!

いや

もしかしたら
幕末魂に火が付いたのかもしれない。

丁度

蛸薬師通りのぎりぎり
車が入れる十字路にさしかかっていました。

運転手さんは目をまんまるにおっきくし

何時も用意しているらしい
京都地図を取り出し
「 この路地を真っ直ぐ
  河原町通りに出て少し下がると

  近江屋ね。


  そして此処!此処を曲がって少し行くと

  海援隊の 酢 屋!

  この辺りが池田屋で

  今、飲み屋さんになってるねえ。
  
  高瀬川を真っ直ぐ登って行くと
  あれあれ!
  武市半平太と
  あれ!
  何組みだっけよよよし....てて...

『 天誅組の

 吉村寅太郎 !!! 』
 
 これもはもりました。
 運転手のおじさんと
 がっちりハイタッチ
 したい気持ちになりました。
 
 「 あとあと
  佐久間象山とか
  大村益次郎の
  住んでいた処が在るよ。

  そのもっと先には

  桂小五郎と幾松の
  「 幾松 」が残っているね。
  此処をこう通ってこうね。」

そんなお話に夢中になっていたのは

大京都の商店街の十字路のど真ん中 !
後ろから車が続々続いていて
クラクションが(汗)

一寸横に寄って

まだお話は止まりません(汗)
「三条から龍馬のお墓までは
 大体ワンメーター位かな
 此処、此処
 修学旅行の学校の先生に言っても
 信じて貰えないんだけど
 京都にある
 金閣 銀閣
 龍馬のお墓に行く
 此処のお寺が
 京都の 銅閣寺なんだよ。」
 と、地図に記しを入れてくれました。

そのまま貰ってきた地図。

今改めて開いてみると
八坂神社と円山公園を過ぎた
ねねの道の手前にある
《 大雲院 》
其処に記がくっきりと。
地図は大人になってからの
修学旅行の思い出に
旅のスクラップブックに
ペタンと貼って永久保存。

地図に説明のテが止まらないおじさん。

おじさん(汗)おじさんっ(汗)
酒場龍馬さんに戴いた
幕末木屋町地図で知っていたけど
そんなお話を熱くしてくれる
運転手さんに出会えてとっても嬉しい!

もっとおじさんとお話していたいけど

京都のぽっきり一日の日が刻々と過ぎていく
お日様が沈んでしまうううう。


と、もっと幕末のお話がしたい

後ろ髪をぎゅうううと惹かれながら


「 おじさん!!! 有難う!行ってきます!!!!」



とさっきの後悔を学習し

少しばかりのお心付けをお渡しし
別れ難い思いを抱えつつも
熱い運転手さんに別れを告げました。



目的の数珠屋さんは直ぐに見つかり
此処で四神が入ったお守りをお土産に。
作務衣を着た職人さんが黙々と
御造りになっているお姿を
拝見すると神のご加護が
じっくりと込められていそうです。
( 此処はGACKT謙信公ご用達の数珠屋さん。
  ファンの皆さんの間では有名らしいです。)

目の前の新京極

お土産を観たい気持ちを抑え
嗚呼時間が...時間が!と
泣き泣き大きな河原町通りに。


南に一寸下がると其処には...!






《 近 江 屋 !!! 》

この日後からも何回も前を通った近江屋跡。

嗚呼此処が近江屋 !と
建碑された建て看板前で大きく深呼吸。

時間が時間がと大海原をもがくが如く

大京都の街 河原町通りを北上。

途中のお洒落なお店を眺めつつ

和雑貨屋さんで可愛い
お土産と御香を手に入れる。

御香は今もお店のカウンターで

都の思い出と香りを
ほんわかと漂わせてくれています。
良いにおいです。

三条通りに出る手前で

この辺かなと右手の小道にはいる...と!

心の準備も整わない

間も無く !



《 酢 屋 !!》

長年来たい来たいと願っていた場所が目の前に。
思いもかけず サッ !と目の前に現れると
ええ いいのかなと何故か思ったりして。
勿体無い気持ちになりました。

月曜日で閉まっておりました。
いいんです。
分ってました。

龍馬さんや海援隊の皆が
出入りした其の場所に
立ってみるだけで幸せです。
なかなか来られない場所なんです。
一生来られないかと思ったりしました。

平日の午後。
年配の方がお二人
酢屋さんの解説看板を
詳しく見ておられました。

酢屋さん。
開店しておられる日に
ゆっくり海援隊さんの
想いにふけりに来たいです。

又、何時か !!


そおして酢屋さんを通り過ぎると
本当に直ぐ !
コレマタ 直ぐ !!






万城目学さんの
『 鴨川ホルモー 』
映画で使われた
『 どんがま 』さんです。
どんがまさんの前は
『 へのへのもへの 』
だった。と検索で出てきました。
おおー楽しいネーミング !


万城目さんのお話の
鴨川ホルモーとプリンセストヨトミを読んで
大阪城の抜け道近辺、百万遍、鴨川デルタ、吉田寮等
観たい場所てんこ盛りなのでしたが
時間的に断念。

高瀬川の辺に佇む
風情ある居酒屋さんをパチリ。

京都ではどんな
不思議な事があっても
不思議じゃない。
そんな空気が流れています。

そして
高瀬川を挟んで
本当に間向かい !

幕末オタクの自分の旅に
付き合ってくれたGACKTファンの姉を
此処に連れて来たかった  !




『 長浜らーめん みよし 』

GACKTさんが食べたくなって連絡すると
何時どんな時間も 
最高の状態で
何時も頼むらーめんを用意してくれる
というラーメン屋さんです。

GACKTさんのファンです。
GACKTさんと同じのを。と
思い切って頼んでみました。

「 辛いですけど大丈夫?
  チャーシュウ大目の
  バリカタ ね。 」

とおねえさんが作ってくれ
優しい笑顔のおばさんが
にこにこらーめんを出してくれました。

美味しいです。
山形に帰ってから
何日もふと
あのらーめん食べたいなあと
思い出すのです。

癖になります。

黙々とらーめんを食べていた
先客の一人の女の子が
先に食べ終えて
携帯でパシャっと写真を撮っていました。

まさかの
この女の子もGACKTファン !

『 らーめんみよし 』さん。
ファンの皆さんの
やっぱり!聖地になっておられる
うわあと感動しました。


スープまで完食し

「おいしかったです。」
と一期一会かもしれない
優しいおねえさんとおばさんに
お礼を云ってお店を出ました。

夜、とっぷり暮れた遅く
別件でこのお店の前を通りかかると

コウコウと明るく電気がついて
沢山のお客さんで溢れておられました。

遅くまで大変だなあ。
頑張るなあ。


と、通りの外で
密かに二人で
絶対に又来るからねと
みよしさんを見ながら誓っておりました。


らーめんみよしさんから
三条の大通りまでは直ぐ。

タクシーを捕まえて
次は
いよいよ ......

龍馬さんのお墓。


  龍馬さん、中岡さん、藤吉くん。
    桂さんと幾松さん。
    二年坂 三年坂
    明保野亭
    清水坂 と続く。


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2012年9月6日木曜日

京都記 「 島原  」

2012.8.27 MON


壬生の浅葱色の世界から

現世に続く大きな通り
綾小路通りに出て
タクシーという
時間短縮ワープ航法を。

京都は大通りに出ると

何処でも沢山タクシーが走っており、
わりに簡単に捕まえられました。

大きな荷物を宿に置いて身軽になる為

宿を目指したいのですが

つい先ほどの

滔々と流れる講釈を聞いて

あの日、

近藤さんが
ずっと呑んでいた

「 角 屋 すみや 」さんを

一目だけでも観たくなりました。
だってこの機会を逃したら
二度とこのチャンスは
無いかもしれないからです。

運転手さんに

宿を告げつつ
途中で角屋さんの前を
通って貰う事はできますか?
とお願いした処
「 島原ですね 」と
快諾していただき
一路島原へ!

住宅街の中に

ぽっかりと
木組みの門が見えて来ました。
浅田二郎さんの本か何かで
見たとおりの
島原の門です。


運転手さんの説明では

島原は此処と向こうに
二つの門があって
女の人が
逃げられないように見張って
いたんですよ。と。

生々しいです。


門の中は

普通の住宅街
普通の方が生活を
しておられます。
門だけ時代を越えて
残っている感じ。

そして道が

一方通行みたいに
凄く狭いです。
自動車教習所で
此処を通らなけば
いけないとしたら
諤々怖い。
そんな道です。

ここから京都の

タクシーの運転手さんの
プロフェッショナル魂に
打ち震え
島原、
一切、写真を撮る事を
忘れ一枚もありません。
心のアルバムに
運転手さんの意気込みと
島原の思い出を
貼っております。(涙)

門を入って

普通の住宅街を直進してゆくと
少しして右手に曲がる
これ又細い道が
その奥を見ると
古い木造のお家に
提灯が下がっています。

提灯には 

二つの輪っかが
互い違いに .......  !


「 輪 違 い 屋 っ !」

と大きな声を出してしまいました。

「そう 輪違い屋」

と運転手さんは角をぶつけそうな
狭い角を曲がってそちらの方へ
するすると。

その前まで来ると

戸口に木の板に

《観覧謝絶》


声に出して

運転手さんと自分
はもりました。


「うーーーん角屋

 何処だったかなあ」
と随分前に来た事があったらしく
記憶を辿りながら
大きな通りに出た運転手さんに

狭い道を頑張って下さっただけで

輪違い屋を観れたからもう充分ですと感謝を述べて
宿へ行ってもらおうとすると

大丈夫大丈夫

向こうの門から入りなおしてみよう

と、もう一つの門から

又、狭ああああい道に

車一台やっと通れそうな幅の

畑道が工事中(汗)
それを運転手さんが
揚屋と置屋の違いを

角屋が揚屋で

輪違い屋が置き屋
置き屋は芸子さんが何時も居る処

揚屋は料亭みたいな処で

置屋さんから呼んで来てもらって
踊りや芸を見てもらう処

と、説明をしながら

やり過ごすと
対向方向から
観光客を乗せた
同じようなタクシーが;;;;;;;

おそらく


角屋さんを観て来た

お方達  !!!


これどうするの????!

と手に汗握る
後部座席の私達

見合った車同士は

いったん一時停止
が、かどを曲がって来た
向こうのタクシーがバックしてゆきます

「此の場合はしょうがないね」

と飄々と運転してすれ違える角のある場所まで


その角の正面には

大きな木造の建物が

建て看板が立っています。

角 屋 です !!

「 角屋は赤い壁と
 飾り窓が綺麗でね 」
と、運転手さん。

「角屋さん観た事があるんですね?!」

と、私。

「勿論、勿論。

 運転手は無料だから
 何回も観たよ。」

おおおおおおーーーーー !


「赤い綺麗な壁がね

 黒く煤けているんだよ。
 それは沢山
 蝋燭の火と
 油の行灯の火を
 焚いたからだって。」

と説明を聞きながら

「此処で近藤さんが
 お酒呑んでいたのねえ」と
角屋さんの横をすり抜けて
最初に入った大門へ。

(大門から直進してくると

 角屋さんだったみたいです。
 でも、おかげで
 輪違い屋さんともう一つの門まで
 見る事が出来ました。)

大門から島原へ別れを告げ

屯所になっていた
西本願寺を眺めつつ
宿へと。


京都のタクシー運転手さんは
プロの観光ガイドさん。
乗った車の運転手さんの
ツボを押すと
沢山お話して下さいます。

ツボが当たれば!


プロ魂に

拍手喝采 !!!!!


山形へ帰って

角屋公式HPを観てみたら
赤い美しい部屋と
運転手さんが話して下さった
説明がそのまんま
載っておりまいた。

嗚呼。

あの、
運転手さんに
御礼の心づけを
お渡しするんだった!!

と後悔。

運転手さん
有難うっっっ 。

その後悔を次に生かせ自分 !!

ばかばか自分(泣)



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小野数珠店から
近江屋
酢 屋
どんがま
らーめんみよし

へ続く。


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2012年9月3日月曜日

京都記 「 壬生 」 

2012.8.27 MON


朝ホテルを出
梅田の阪急京都線で
一路大宮駅。

大宮駅から壬生を
徒歩で目指しました。
此処でも迷って道をたずねると
親切に教えて戴きました。
迷っても旅の醍醐味。

綾小路通りを
教えて貰った石垣を目当てに左折。

思ったよりも小さな路地に
新撰組の世界感がぶわあっと
広がっている感じ。




最初に目に入ったのが

「 前川邸 」

あの山南さんが切腹したお屋敷です。
月曜日なので玄関はぴっちり閉まっており
玄関前に前川邸見取り図が無人販売されて
おりました。
二部ほど購入。



後で見取り図を見ると
山南さんのあのお部屋は
お屋敷の後ろの方に。
其の辺り
見逃して参りました(泣)
その場で開いて見ろ!
と、云うことデス。うう。


次はいよいよ
「 八木邸 」です!




受け付けで後で戴ける
お抹茶と屯所餅代を払って
丁度解説が始まりましたよ。
と教えて貰い
屯所の中へ。


屯所の中は撮影禁止。
気になる方は
八木邸で検索してみて下さい。

玄関を入って直ぐに
大きな座敷に。
その奥の間に
近藤さんの木彫りの像が。


椅子が何個か置いてあり
其処へどうぞと薦められ座りました。

後で流暢な語り口の解説が始まるのですが


...............  なななんと (滝汗)

私達が座った其の場所は(汗)



芹沢さんとお梅さんが寝ていた
其の場所でしたっっっっ !!!!!!!!!


いいんですかいっ!


芹沢一派暗殺の
その現場そのものにて
何処其処に
誰が寝ていて
外からこう
入って来てと
その現場
其の物を指し示して
解説がなされ

昨日の晩
其のことが
あったかの様に
生々しく感じながら

何故
芹沢さんが殺されなければ
いけなかったのか

「此の中に芹沢さんに関わる方は
居られませんか?」
と前置きし
(きっと誰某の子孫
 という方がよく
 来られたりするのでしょう。)

講釈士のように
流れる如く
一つ一つ
芹沢さんの悪行をあげていかれ
面白いほど解説が
頭に入って来ます。
解説の方は
白い扇子を持って話しておられ
芹沢さんの黒い鉄扇と重なり
芹沢さんが重い扇を豪快に振るう仕草を
自然に想像 !

「 試しに一キロのダンベルを
  ずっと持って
  振って御覧なさい。 」


その日まで
新撰組にあまり詳しくなかった姉が
すっかり芹沢さんを頭に覚えこみ
山形に帰ってうちの者に
これこれこうだったと
詳しく説明出来るほどに
衝撃を受けた模様です。


すっかり
通 です。  A^ ^;


隣りの部屋に寝ていた
八木家の為三郎坊ちゃんの

文机と
斬りかかって出来た刀傷。

巧い解説のお話を
お聞きしながら
見て来ました。

刀傷は触っちゃいけません。
もっと、鋭角だった筈な傷です。

(でも夜には....汗
 三条大橋の池田屋事件の
 刀傷は つい 触っちゃいましたが;;;;
  スミマセン )

もっと沢山色々
解説の方に面白い新撰組の
お話をお聞きしたかったけれど
後ろ髪引かれながら
お抹茶を戴きに外へ。

でも此処で
もっと聞きたいです。
と、申し出ると
何か特別なお話が
飛び出てきそうな感じでした。

此れから八木邸へ行かれる方は
是非、もっと!と
試してみて下さい。

それで出てきたお話を
自分にもお聞かせ下さったら
嬉しいです。








お抹茶を出して下さるお菓子屋さんは
八木家の母屋ではなく離れだった場所で
近藤さんや土方さん、沖田さん等が
寝起きしていた場所になるそうです。

母屋は武士出の芹沢さん達が
離れは百姓出の近藤さん達が

という事だそうです。




写真の方がとっても面白い
解説をして下さった方です。

清河さんの国から来ましたと
少しお話をさせて頂きました。

嗚呼!と額に手を上げられ
「母親思いの清河さんね。」と。
多分藤沢さんの
回天の門をお読みになった??
と思いましたら

本当に藤沢周平さんがお好きらしく
鶴岡に行こうと思っていた処でした。と。

海坂藩のお話が
お好きみたいです。


鶴岡でこの方の様に
素敵な解説をして下さる方に
出会えますように。
どうか
良き旅になられますように。

お祈り致しております!


八木邸を出て
壬生寺方面に行きますと

そこには




「 新徳禅寺 」!


清河さんが浪士達を集めて
実は徳川様をお守りする為に京に
来たのではないと暴露した

運命の分かれ道の場所。

前川邸
八木邸
新徳禅寺
壬生寺


こんなに近くに
ぎゅうっっと詰まって
建っているのには
驚きました。

実際に行って見ないと
解らない事ってありますね。

そしてその
ほぼ向かい側に
壬生寺です。




沖田さんが近所の子供と遊んだり
隊士が鍛錬をした場所です。



この近藤さんの銅像を左にちょっと行くと
隊士達のお墓があります。

あの
会計方の河合さんのお墓も。

遺髪塔もあったらしいのですが
この時は見つけられませんでした。

きっと きっと
又 何時か !!!!!!!!!


そうして壬生寺のご本尊様に
此処に来られて幸せですと
手を合わせ

もと来た道を綾小路通りへ。


壬生寺の売店の方も
親切な方でした。
お土産の袋を
纏めたらと
大きな袋を下さいました。


感謝 !




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島原へ続く。

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2012年9月2日日曜日

大阪旅 記 「適塾」

2012.8.26 SUN


大阪へ降り立ち
一路梅田へ。

御堂筋線に乗って一駅
淀屋橋に。

川を挟んで向こう岸の
中ノ島にはあの
大阪市役所が。
そんなビジネス街の中に
幕末の医師
緒方洪庵の住居

「 適 塾 」があります。





 炎天下
その日の大阪は35度。
そんな中,間違って風情ある
幼稚園につられて道に迷った私達を
地元の近所の小学校を卒業しましたよという方が
優しく適塾まで連れて行って下さいました。

優しさが身に沁みる
旅の出会いであります。
大阪人、優しい!!!!!

感謝してお別れし
早速中へ。


中は撮影禁止でしたので
写真はここまで。

木の香りのする
お庭の美しいお家です。
クーラーは無いのに
窓を開け放していると
風が通って気持ちがいい。

家の真ん中に坪庭があって
どこの窓からも覗けます。


此処に
福沢諭吉や
大村益次郎
大鳥圭介
橋本左内
手塚先生のご先祖
手塚良庵さんも居られたのですね。

全国から勉強に来た
塾生の分布図には
山形からは
13人 ! 
とありました。


二階へ上る階段の
一段一段の段差がとっても
急で手荷物があると昇れません。
女中さん達は
御用事を言い付かって
何かを運ぶ時は
大変だったのでは。

昔の人は此れを
日々昇っていたのかと
あまりの急さにびっくりしました。

昇りきりますと
女中さん達のお部屋。
そのお部屋の扉を開けると

ゾーフ部屋と呼ばれる
小さなお部屋が。

塾生がこぞって使った
ゾーフハルマという
蘭和辞典が置いてある部屋です。

緒方洪庵事件帖や
陽のあたる樹のドラマで
出てきた通りの部屋だなあと思いました。
(あ...汗 事件帖は若い時のお話だから違うか)

此処で一生懸命
汗をかきかき
ムンムンした空気の中
勉強したんですね。


ゾーフ部屋を出ると
塾生が寝泊りしていた
大部屋に。
此処に分布図が。

二階の奥の部屋には
手塚治虫先生の絵が入った
一筆札があり
手塚 良庵について
説明がありました。

西南戦争に従軍し
九州で赤痢にかかって
亡くなっておられました・


一階へ戻り
もう一度洪庵先生の書斎や
薬を調合した文机などを観ていたら
感想文ノートがある事に気づく。


ぱらぱらとめくっていると
姉が緒方洪庵さんの
6代目さんの書き込みを
見つけました !


何代目かの○○先生の下で
医学の道を目指しておりますと
書いてありました。


○○先生を
メモしてくればよかった
と思いましたが
後の祭り。

きっと知る人ぞ知る
有名な先生なのでしょう。

適塾へこれから
行かれる方
是非チェックしてみて下さい。

わかりましたら
教えて下さいますと
とっても嬉しいです。

洪庵先生の御子孫さんが
道を同じく
医学の道を。


感慨深く
塾生と洪庵先生の
熱い熱意の篭る
適塾を後にしました。


この旅で
適塾が大阪大学の
元であった事
初めて知りました。



..........................................



夜は
謙信公(GACKTさん)の
舞台大阪公演最終日
梅田芸術劇場へ

「義経秘伝 源 義仲編」






泣き虫で甘えん坊な義経。
月が出ている間しか姿が見えない
陰 と 陽和ひより

巴御前と源 義仲
義経四天王の
弁慶と仲間達

眠り狂四郎とは
全く違う役どころに吃驚し
巴御前の胸をはる堂々とした歩きや
途中ベルバラの歌を歌う処では
オスカル様にしか見えません。
多くの宝塚ファンの方が
応援に来られているようで
声援が一際でした。
凛々しかったです。

陰とひよりのこの世のものではない
雰囲気にうっとりし
仲間達の熱き友情に胸焦がし

お話の終わりには
会場中すすり泣く音が
そこかしこに。

例に漏れなく私達も。

この
義仲編の続きを!
と切望するファンが
沢山居られたのは確かです。


劇中でGACKTさんが

「茶琥屋のたこ焼き食って
 帰ろうー。」


と言っていた
茶琥屋を
芸術劇場から梅田駅への
道のりで発見 !


ここかあ!と
すかさず
買って店先の縁台で
ご馳走になりました。

熱々で
火傷しそうなくらいだけれど
柔らかくてとっても
美味しかったです。
ふわふわです。^ ^


GACKTさんのこの公演がなければ
大阪へも京都へも
思い切って来る機会が
無かったと思います。

こんな機会を下さった
我等が親方様に
感謝しつつ
公演の涙の余熱に
うかされ
大阪の一日を
閉じました。


感謝 。



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